◆ 熱意を持って挑戦しているのに、熱意が伝わらないという謎
新しいアイデアを人に話したり、新しいコミュニティに飛び込んだりする時、ネガティブなフィードバックを受けることがあります。
大半は応援や激励を込めた「意見」なので、基本的には前向きに受け止める方が賢明です。フィードバックは改善や進化に必要なので、一見批判のように思える意見でも身構える必要はありません。
ただ、中にはどう受け止めればいいかわからないものもあります。タイトルにあるような、「熱意(または情熱・人間味)がない」と言われるタイプのフィードバックです。
「あなたの話は理屈っぽくて、情熱が感じられない」
「結局何がしたいのか、熱意を込めて語ってほしい」
「もっとあなたの泥臭さ、人間らしさが見たい」
そもそも私たちは熱意がなければ挑戦なんてしないので、「熱意が足りない」という意見は前提がズレています。
むしろ挑戦する人からすれば、「熱意だけが取り柄」ではないでしょうか。
アイデアはまだフワッとしているけど、確固たる想いはある
人から客観的な意見をもらいながら具体化できるとありがたい
自分に見えてない視点は積極的に知りたいし、謙虚に学ぶ意欲もある
本当に挑戦したいのか揺らいでいるなら「熱意」の指摘は効果的ですが、そうでなければ何の参考にもなりません。何をどう改善すればいいかかえって悩みます。
なぜこのような食い違いが生じてしまうのでしょう?
◆ 「熱意」というふわっとした感覚の正体は、「単純接触効果」
人が熱意を感じる(=感情が動く)ためには、次のいずれかの条件が必要です。
感覚的に理解できること、わかりやすいこと
身近に感じられること、親しみが持てること
理解できるか/馴染みがあるか、どちらかの場合に人は前向きな感情を抱き、それを「熱意」と捉えます。
(例えば、iPhoneは初見でも理解しやすい/AKBファンは応援のためにCDを買う)
この時、発信する側に「熱意があるかどうか」は関係ありません。「受け手にとって理解できるか/親しみが持てるか」がすべてです。
理解できるもの、親しみが持てるものに対しては感情が動き、それを「熱意」と捉えます。
そうでなければ感情は動かず、「熱意」は感じられません。
結果、「あなたには熱意がない」という発言が出てきます。
本来なら、「私には理解できません/親しみを感じられません」と言ってもらえた方が、改善や工夫につなげられます。しかし、人は自分を客観的・批判的に見るのが苦手です。
状況を説明したり見識の浅さを認めたりするには労力(勇気)が求められるので、手間を省くために「熱意」という単純な言葉に置き換えて意見します。
この状況は、心理学や行動科学で説明することができます。
人には、繰り返し接触したものに対してポジティブな感情を抱く傾向があり、これを「単純接触効果(ザイオンス効果)」といいます。
反対に、初めて見聞きするものにはネガティブな感情を抱く傾向があり、こちらは「新奇恐怖症(ネオフォビア)」といいます。
「親しみを感じられるかどうか」によって、「熱意があるかないか」が評価されるというわけです。
つまり真の問題は「熱意」ではなく、「わかりやすさ/親しみやすさ」なのです。
◆ 発言の真意・心の働きを知れば、人の意見はもっと活かせる
「熱意が足りない」と言われた時、そこには二つの可能性があります。
一つは自分の「伝える工夫」が足りていない可能性、もう一つは「相手との親密度」が足りていない可能性です。
どちらも「熱意」の問題ではなく、今後の工夫次第で改善できる「行動」の問題です。
・的確に伝えることが難しいなら、とにかく接触頻度を増やして親密度を高める
(芸能人やYouTuber、政治家の皆さんのやり方がこれに当てはまります)
・打ち解けることが難しいなら、とにかく直感的にわかるようにシンプルにする
(医療や福祉、ITや通信など、高度な専門知識が求められる企業のやり方です)
いずれにしても、「自分って熱量が足りてないのかな」と思い悩む必要はありません。想いがあってこその挑戦ですから、信じて進みましょう。
「自分に何が足りないんだろう?」と考える代わりに、「人には何が必要なんだろう?」と考えるようにすれば、さらに広い視点でアイデアを洗練させていけるはずです。
自分にも他者にも、さまざまな「想い」があって、さまざまな意見として現れてきます。
時には衝突や混乱を招くものもあるかもしれませんが、根本は同じ人間です。誰もが不安や恐怖を抱きながら、勇気や希望を求めています。
あなたの「熱意」が伝わることで、人や社会がより明るくなることを願っています。
引き続き、言葉を洗練させながら想いを深め、分かち合っていきましょう。
言葉のコンシェルジュ 福田幸志郎
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