1410.周りの人と感覚がかみ合わないことの意味

【1日3分!人生を楽しむための勉強】

おはよう!じゅくちょうだ!

 福幸塾ではよく「普変論争」が起こる。

それは何かというと、


「周りから見ると明らかに『変』な奴なのに、

 自分では『普通』だと思っている人たち」

による論争だ。


じゅくちょうもよく巻き込まれるんだけど、

ユニークなじゅくせいたちがいる中では、

じゅくちょうもどうしても普通に成り下がってしまう。


しかし、ユニークなじゅくせいたちは、

「自分こそ普通」だと思っているから、

じゅくちょうのことを「変」だと思っている。

(…世間もそう思っていると思うよ)


昨日は西宮の保育園の研修だったんだけど、

研修後のフランとの会話でも同じことがあった…


フラン「『心を大事にする』って感覚、

 本質的なところがなかなか伝わらなくて…」


じゅくちょう「うちでもそうですよ。

『心の存在について、

 自分はまだ何も知らない』ということを

 自覚できていない人の方が多いですからね」


フ「なんでなん?

 フツー考えたらわかるやん?」


じゅ「…それが普通じゃないんですよ」


フ「『感じること』を大切にしてたら、

 自然とわかるはずやん?」


じゅ「それができる人の方が少ないんです。

 フランさんの感覚が素晴らしいんですよ。

 世間からは変に思われるかもしれませんが」


フ「…これだけは言わせてもらうけどな、


 私は普通やからな!」

(出た)


じゅ「いや、普通じゃないですって」


フ「なんでなん?当たり前のことしてるだけやん!」


じゅ「それが当たり前じゃないんですよ」


フ「じゅくちょうは変やから

 勉強を教えない塾はそうかもしれへんけど」


じゅ「…え、うちは普通ですよ?」

(出た)


フ「いや、あんたは絶対変やで」


じゅ「なんでですか?

 当たり前のことしてるだけですよ?」

(キリがねえよ)


…自分にとって「普通」だと思うことにこそ、

僕たちの才能の種が隠されている。


人にはできないことを

当たり前のようにできてしまうこと、

僕たちはそれを「才能」と呼ぶ。


才能は特別なものなんかじゃない。

他人から見れば特別でも、

自分にとっては普通のものだ。


才能を見つけるのに特別な経験は必要ない。

日々の生活の「普通」の中にこそ、

才能の種は埋もれている。


誰だって普通で、誰だって変…

だから僕たちは自分だけの才能を

活かし合って生きていく。


特別なものになる必要なんかない。

自分の中の普通を大切にしよう。

生きているだけで、

僕たちはすでに特別なのだから。


今日も1日楽しんで☆

じゅくちょう

www.fukojuku.com


追伸:自分にとっての「普通」は、

人と一緒に生活を振り返って初めて気付く。


自分の才能や適性を見極めるためにも、

「生活のメンテナンス(振り返り)」を大切に。


今月のじゅくちょうのセッションのテーマは

『一年の折り返し地点』


新年の目標が抜け落ちてる人も、

順調にここまで来れてる人も、

一緒に立ち止まって今の状況を整理しよう。

(意外と素晴らしい自分に気付けるはずだ)


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