学校の勉強をなくせない理由

 

 

「もっと社会に出てから役立つようなことを

 

 学校で教えてくれたらいいのに…」

 

 

これは多くの子どもから聞こえる声だし、

 

自分自身もそう思って育ってきた。

 

 

知識を詰め込んでも、たいした役には立たない。

 

(社会の中では、正解を知っていることより、

 

 正解を探し続けることの方が大切だ)

 

 

学校の勉強が楽しい子どももたくさんいるし、

 

自分なりに工夫して楽しむこともできるし、

 

その先の進路に興味がある子どもにはものすごく価値があるけど、

 

 

多くの子どもは、「いつかどこかで役に立つはず」と信じて

 

ガマンしながら勉強をしていることが多い。

 

(教科に興味を持たせることが、先生の本来の仕事だけど)

 

 

一部の子どもにしか役に立たないと大人たちはわかっていて、

 

子どもたちも薄々感づいていて、

 

それでもなかなか改善されない学校の勉強…なぜなのか?

 

 

「勉強に何か深い意味があるから」と信じてる人も多いけど、

 

真実は意外と残酷だ。

 

学校の勉強がなくならない理由…それは、

 

 

「先生が職を失うから」

 

 

もし興味のない分野を排除して、

 

 

興味がある子どもに、興味がある教科だけを教えて、

 

強みを伸ばす形で教育をすることになれば、

 

そんなに多くの先生はいらなくなる。

 

(子どもが100人いたら、

 

 1つの教科に興味を示す割合は、

 

 おそらく20人くらいだろう)

 

 

「分野を絞った教育なんて偏ってる!」

 

なんて反論が返ってきそうだから、

 

教科についてより専門的で興味深い授業ができる先生と、

 

教育の全体像を幅広くわかりやすく伝えてくれる先生、

 

スペシャリストとゼネラリストを配置すると考えることにしよう。

 

(でも、いろんなジャンルが拡大していってるこのご時世に、

 

 偏りなく「全体像」なんて伝えられるのか?)

 

 

興味のある分野について学ぶ時間と、

 

世の中全体について学ぶ時間で授業カリキュラムができれば、

 

少人数の先生で学校はある程度成り立ってしまう。

 

(しかも、無駄と思えるような授業がなくなる!)

 

 

子ども全員が全教科を勉強するからそれだけ先生がいるけど、

 

興味のある分野+基礎知識程度の勉強だけになると、

 

あまり多くの先生は必要ない。

 

(1000人の子どもがいる学校なら、

 

 現状だと40人学級でも25コマの教科枠を埋める人材が必要だけど、

 

 興味があるトップ20%だけに教科指導をするなら、

 

 200人に5コマの教科枠を埋める人材を配置すればいい)

 

 

でも、それでは職を失う先生が激増してしまう。

 

実力を持った先生はそれでも生き残れるから問題ないけど、

 

実力のない先生はたまったもんじゃない。

 

 

自分の生活を守るため、いつもの仕事以上にがんばって猛反発するに違いない。

 

(いつもそれくらい必死で働けよ…)

 

 

子どもがこの記事を読むと理不尽なように思うかもしれないけど、

 

世の中そんなに子どものためばかりにできてるわけじゃない。

 

むしろ、いろんな矛盾を抱えた世界でどのように生き、

 

どのようにその矛盾をクリアしていくかが大切だ。

 

 

学校の勉強は、子どものためにあるとは限らない。

 

先生の生活のために子どもが犠牲になっている部分が少なからずある。

 

(生活や人生がかかっていれば、

 

 誰だって必死になって既得権を守ろうとするもの…

 

 良いか悪いかは別として)

 

 

だからこそ、考えることをやめちゃいけない。

 

 

世の中は絶妙なバランスで成り立ってるけど、

 

全部が全部「お膳立て」されているわけじゃない。

 

納得できなければ勉強しなきゃいいけど、

 

しないならしないで背負う責任も当然出てくる。

 

 

いろんな矛盾を抱えてる中で、自分はどうするか…

 

 

 

学校の勉強や先生をあてにすることをやめて、

 

自分で考えてみよう。

 

(多分、それこそが本当の勉強なんじゃないだろうか)

 

じゅくちょう