162.ファイヤーショーのシーズン

ごきげんよう、じゅくちょうだ!

じゅくちょうには二つの顔がある。

一つは福幸塾の「じゅくちょう」、

もう一つはパフォーマンス集団

「一亀一遊(いっきいちゆう)」の代表だ。

今日はこちらの話を少ししよう。

(メルマガは福幸塾のものだけど、

タイトルは「思春期から学べ」だから

問題ないだろう)


大道芸やファイヤーパフォーマンスを

地域のイベントで披露し続けてはや5年…

(実は福幸塾開講よりも、

一亀一遊結成の方が1年早い☆)


いまや一亀一遊は中高生を中心とした団体として、

亀岡・南丹で広く認知されるようになった。

(いろんなご縁に恵まれて、

毎年30カ所くらいはイベント出演している)


今年、じゅくちょうは少しずつ

一亀一遊を引退している。

というのも、中高生のパフォーマンスの

レベルがかなり高くなってきたし、

かたや僕はあまり練習ができていない。

それに、一人が何年もずっと代表を務めるのは

団体のためにならない。

次世代へ引き継がれていってこそ

その活動は「若者文化」になると信じている。


しかし、引き継ぐ相手は中高生たち…

僕には簡単にできることでも、

彼らにとっては難しいことがたくさんある。


リーダーシップ、報告・連絡・相談、

活動計画、初心者のフォロー、出演準備…

これらを常に意識しながら

楽しんで活動をするというのは、

彼らにとっては難しいかもしれない。


(彼らもこのメルマガを読んでいるので、

あえてもう一度いやらしく言っておく…

「大人」にとって簡単にできることは、

「子ども」にとっては難しいかもしれない。)


一部のメンバーには話したことだけど、

残念ながら、今の一亀一遊への評価の多くは

「僕」への評価になっている。


「中高生をあんなにまとめてすごいね」

「がんばって指導してきたんだね」

「さすがじゅくちょう」

…褒められるのはもちろん嬉しい。

でも僕が求めている本質はそこじゃないし、

事実もそうではない。


一亀一遊の活動が続いているのは

間違いなく彼らのがんばりによるものだ。

それに、僕が求める評価は、

「思春期や若者だって、

自分たちでいろんなことができる。

若者には可能性がある。」

ということ…

「自分のすごさ」の証明でやってるわけじゃない。

「若者のすごさ」の証明でやってる。


彼らが評価され、

思春期や若者への見る目が変わるには、

どうやら僕がいなくなる必要がある。

僕がいなくなっても活動が続くなら、

それは彼らの、若者の、実力の証明になる。


彼らが、教えられたり守られたり、

大人に導かれないとたいして活動できないのか、

それとも大人なしでもうまくやっていけるのか…

地域に根差したボランティア団体になるのか、

ただの中高生のお遊びサークルになるのか…


彼らにとっては、

「試練」であり、「チャンス」でもある。

彼らも、一亀一遊という団体も、

まさに「子ども」から「大人」へと

成長する境目にいる。


団体と代表の関係と、

親子の関係は、きっとどこか似ている。

いつまでも手をかけてばかりいては、

子どもはいつまでたっても自立できない。


自立に大切なのは、

本気で助けを求められる時だけ力になり、

そうじゃない時は放っておくこと…

頼まれてもないのに口を出すなんてのは、

多分子どもの自立に逆効果じゃないだろうか。

(「自分は言われないとできない人間だ」と

子どもが思っているとしたら工夫が必要だ)


成長してほしい相手こそ、

自分のコントロールを手放そう。

大丈夫、彼らは自分がいなくても

きちんとうまくやっていく。


一亀一遊(子ども)が6年で終わるのか、

60年先でも続くのか、

それは僕(大人)の「手放し方」にかかっている。

甘やかしすぎず、冷たくしすぎず、

彼らの成長を見守っていきたい。

(彼らへの期待と応援のメッセージも込めて…)

じゅくちょう